七尾 松乃鮨

- 能登の海の幸 -

店主の挨拶

地震の被害と六代目よりお願い

五代目店主 南 隆一 より

この道一筋50年

中学3年生の時に父に連れられ、銀座寿司店で人生初めての握り寿司を食べる。こんなにうまい物があるのかという衝撃と感動を覚えた。その瞬間から人生の道が決まった。中学卒業後に知り合いの紹介で松乃鮨で働くこととなる。職場も職種も何一つ変わる事なく現在に至る。50年の節目を迎えた今、次世代へとバトンをと考えていたが、社会の情勢が一変した。しかし社会がどう変化しようとも五代目の鮨道、信念はぶれることはない。地域のため、お客様のため、家族のために寿司を握り続ける。

お客様へ

平素は格別なご高配を賜り誠にありがとうございます。
コロナウィルス感染症の影響で、社会が一変し厳しさが増しています。そんな中でも、この道を歩み抱いた信念をぶらさず、そして地域の皆様のご期待に答えられるよう社員一同頑張り、この状況を乗り越えていきます。皆様には今後とも変わらぬご愛好を賜りますようお願い申し上げます。どうか感染予防と対策としてご自愛ください。お店でまたお会いできる日を楽しみにしております。読んでいただき本当にありがとうございました。

プロフィール

1954年10月26日生まれ
石川県七尾市小栗町出身

 

六代目 南 智文 より

始まり

創業明治元年の老舗寿司店の長男として生まれる。当然のように跡取りとして育ち料理に興味を持ち始めます。小学校の頃、「料理の鉄人」という番組に出演していた鉄人に憧れを持ちます。高校を卒業後、服部栄養専門学校に入学し、特別講師としてテレビで見ていた鉄人の皆様から料理を学び1年間の学びを終え、本格的な職人の道へと進みます。

職人の道

専門学校を卒業後、日本料理の道へと進み、京都の老舗料亭二軒茶屋中村楼で4年間修行をさせて頂きました。ここでは、日本料理の基本である旬の食材の仕入れや目利き、包丁技術や調理の基礎を学ばせて頂きました。その後、料理の幅や人としての成長を求め、オーストラリアシドニーに渡り、2ハットレストランYoshiiで働く事となりました。海外での生活でメンタル面やコミュニケーション能力を養いながら、一流のレストランで働く事ができ、基礎であった京料理に幅を広げる事にも繋がりました。これまで調理場しか見えていませんでしたが、お客様を思う心が磨かれ二年の修行を終えて帰国しました。帰国後は、栃木県宇都宮市で外食産業の経営ノウハウを学び、寿司屋の実家に戻る事となりました。

鮨道

28歳で実家に戻り鮨道を歩み始めます。これまで一流のお店で働かせて頂けたおかげで本物の食材を扱う事ができましたが、能登に帰ってくると身近に本物の食材に巡り会える事に驚きました。そして里山里海の恵みがお米や魚、野菜だけではなく、人と人との繋がりの中で文化が紡がれており、器や醤油、地酒、魚の漁法や加工技術等が伝承されている素晴らしい地域である事にも気づくことができました。それから10年の月日が経ち、地域の方との繋がりの中で最高の食材をお客様に提供できる喜びをかみしめ、最高の寿司をご提供できるよう修行に励んでおります。

お客様へ

まだまだ修行中の身ですが今年でちょうど20年目の節目の年となりました。鮨道とはお客様や生産者、仲間や食材に感謝の心を持ち続け、最高の食材を妥協せずに仕込み、寿司を探求し、皆様を幸せにできるよう生涯前進する事であると考えております。まだまだ未熟者ですが鮨道の心を忘れずに邁進していきますのでこれからもご指導ご鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。最後にホームページをご覧頂き誠にありがとうございました。スタッフ一同、皆様のご来店を心よりお待ちしております。

プロフィール

1982年2月19日生まれ

経歴

服部栄養専門学校卒業
二軒茶屋 中村楼
Yoshii Restaurant
セカンドライン
松乃鮨